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働き方を変えて平和に生きたいおばさんのブログです。

空き家になった実家と断捨離への決意



 

昨年夏に父を亡くしました。

 

母はすでに他界しており、兄も私も家を出ておりますので、つまり私の実家は空き家になりました。

 

兄も私も遠方に住んでいますので、父が存命の時こそ頻繁に帰りましたが、親のいない実家というのは本当にわびしいものでして、亡くなってからは、2か月に一度、少しずつ片付けに帰るくらいになりました。その中には法要も含まれております。

 

帰った時に、最低限、電気と水があればいいと、ガスを止めてしまいましたので、お風呂に入ることができず、泊まり込みで片づけようという気が起こりません。

 

そしていつまでも片付きません。

 

今夏の猛暑。いつまでも片づけないでいると、色々と面倒なことがおこります。

 

庭の木は枯れ、草は生い茂り、猫が住み着き、ゴキブリは廊下で野垂れ死に、そこら中に虫が湧きます。

 

何といつのまにか冷蔵庫が壊れいて、そのうち消費しようと思っていた冷凍食品に虫がたかっていたのは極めつけでした。あんなに恐ろしい光景は見たことがありません。冷蔵庫も使わないと壊れるの…?

 

ご近所にもさぞかしやご迷惑をおかけしていることでしょう。

 

私はこうなってみて思いました。

 

マイホームって、もしかしていらないんじゃ・・・?

 

折しも、一時的専業主婦状態である今、少しお金の勉強などしてみようと、私にも易しそうなお金の雑誌や動画を何となく見ている所だったので、余計に思いました。

 

雑誌にもはっきり書いてあるし、有名youtuberさんもおっしゃっています。

 

「家はいらん」と。

 

そうだったのか・・・!!

 

家賃を払うなら、ローンをくんででも一軒家で気兼ねなく暮らしたいと購入したマイホーム。確かに何かと金と労力がかかる。

 

購入してから20年経ち、育児を経た家の中はもちろんボロボロだし、外壁も一度塗り直したがひび割れが目立つ。白アリ駆除は数年おきにやらなければならないし、駐車場に植わっていた木はやたら伸びて剪定が大変。

 

こんな家を、もし私たちが死んでしまったら、買ってくれる人は果たしているのか?

 

実家に関してはもっと切実です。私の地元は若者や子供が減り、潰れている店がそこら中にあって、ずいぶん廃れてきています。我が実家の築年数も相当経っているので、まさか今からそこを買いたいという人は現れないでしょう。家を取り壊して、更地にするしかありません。

 

家を取り壊すのにいくらかかるのか?

庭の木を処分するのにいくらかかるのか?

更地になった土地は売るのか、貸すのか?

 

家を取り壊すまで火災保険に入り続け、セコムに入り続け、電気代と水道代を払い続ける。

 

遠方に住んでいるためどうしても一気にできないのは仕方ない。だけど、とにかく空き家となった実家は、なかなかに私たち兄妹の悩みの種となっております。いや、ホント早く何とかしないとね

 

義実家でも、最近では高齢で植木を切れなくなった義母が、私たちに切ってくれとのたまいます。もういらんやん。業者呼んで抜いちまえよ。と思っちゃう。

 

ああ。人は歳をとって、木も切れなくなって、いつか死ぬんやな・・・親を亡くすと、それがまぎれもない真実であることを痛感します。そして、人が亡くなるのと同様に、家もまた、永遠ではないということを学んでいる所です。

 

そして私は思いました。

 

断捨離をしなくては。

 

家の中も家の外も、できうる限り断捨離をして、いついなくなってもいいように身ぎれいにしておかなければ。

 

え、気が早い?

 

そんなことはありません。私の祖母は54歳、母は61歳でこの世を去りました。いつお迎えが来てもおかしくないのです。

 

これからの子供たちは、ますます少子高齢化が進んで、きっと苦労するに違いない。親として、死してなお、できうる限り協力しなければと思うのです。それはたぶん、今この元気な時しかできないのです。病気になって気が弱れば、迷惑をかけたくないとか、1人で頑張りたいとか、そういう強さは少なからず失われると思うからです。

 

いよいよ秋到来。

 

とりあえずできるのは、庭の断捨離かな?

 

 

脱・真面目完璧主義人間

1か月ほど前にパートを辞めました。

 

更年期のせいでしょうか。ただトシをとったからなのでしょうか。とにかく次の仕事を見つける気持ちになれず、かといってこの機会にどこかへ旅に出ようとかいう気持ちにもなれず、ただただ、家に引きこもっております。

 

とても幸せです。

 

何が幸せって、まず洗濯機を回しながら朝ご飯と弁当を作るというマルチタスクをしなくていいこと。

 

パートをしていた頃は、朝起きて出勤するまでに、家族の朝ごはんと息子の巨大弁当をこさえてゴミを集めながら洗濯機を回し、ようやく全員を家から追い出したところに洗濯機からの呼び出しをくらうという、腹立たしい生活を毎日のようにこなしていました。

 

今は、全ての作業を、一つずつやったって構わないのです。ごはんを作ってから弁当を作り、ごみを集めて、それから洗濯機を回せばいいのです。どこにも遅刻しないんだから。

 

雨が降りそうでも外に洗濯物を干せばいいのです。降ってきたら取り込めばいいんだから。雨に全部やられて夜からまた洗濯することも、無理矢理部屋干しして洗濯物を臭くしてしまうこともないのです。

 

マイペースに、ゆっくりやってもいい。

洗濯物が臭くならない。

 

この2つができるようになっただけでも、私の心は満たされると言っても過言ではありません。ほんとうに。

 

家事と仕事。または家事と育児。または家事と介護。あるいは、その全て。

 

これをやっている人は、神ですよ。

 

私自身も、よくぞこれまで頑張ってきたと、自分をほめてやりたい。辞めて1か月しか経たないのに、どうやってそれをやっていたのか、もはや理解不能です。魔法が使えたとしか思えません。

 

中にはね、あらゆるライフハックを駆使したり、もともと器用で何でもこなせたり、バイタリティに溢れた方もいらして、ご夫婦で協力しながら幸せに両立される方もいらっしゃるかと思います。

 

しかし私は気づきました。

 

私は違ったんだと。

 

私にはその能力がなかったんだと。

 

気づくのに10年かかりました。

 

私にも両立ができるはず。家族と協力しながら素敵に暮らし、仕事でも活躍し、ジャンジャン稼いで、死ぬまでにやりたいこと100個を実現し、親孝行だってやれるはず。そう思っていました。

 

現実は大違いでした。

 

職場では活躍できず、家族は思うように動いてくれず、勝手な家族への期待から、常に家庭内不機嫌ハラスメントをばらまき続け、「忙しい、忙しい」と、親には何の孝行もできないまま、死なせてしまいました。

 

何もできてないじゃん、私。

 

結局、素敵なSNSの情報に振り回され、行き過ぎた承認欲求に逆らえず、完璧主義のあまり、勝手に頑張りすぎて、周りを不幸にしていただけなのかもしれません。

 

脱・真面目完璧主義人間宣言

 

私は万能の魔法使いではないということを胸に刻み、私にできることをとりあえずやればよいのでは?と感じ始めた今日この頃。

 

もう少ししたら、また社会の荒波に揉まれに出航することになるでしょう。

 

だけど、この数か月だけは、全ての外部の人間との関りやしがらみを断って、目の前にあることに集中してもいいのかもしれない。

 

誰にも干渉されず、誰にも影響されず。

 

目の前にある食器を静かに片付け、人間離れした匂いを発する息子の靴下をていねいに洗い、長年放置した壁の穴をふさぐ。

 

できるだけぐうたら過ごしてみる。ゆっくり、ゆっくり。

 

そして、いつも機嫌良く過ごす。

 

それが、おそらく、今私にできることだ。

 

今は亡き愛鳥をphotoshopで蘇らせてみました。

 

 

 

私だけのワークライフバランスを考える

ちょうど1週間前、左下奥歯を抜きました。なんでも、むかーし昔に虫歯で神経を抜いた歯の根っこが膿んでしまっているらしく。

 

4年前にもその歯がうずいたので診てもらいましたが、「薬で散らせるけど、どうします?」と言われたので、そりゃその方が楽だよねと、治療もせず放置していたのでした。

 

「うーん、もう根っこが腐って溶けてきてますね。抜かないと他の歯にもいたずらしますが、どうします?抜きます?」

 

どうしますも何も・・・

 

なんなら4年前に治療しておいてくださいよ・・・

 

仕方がないので、仕事を退職してすぐに抜歯していただきました。見事に左頬は腫れあがり、痛いしうずくし、しばらくは寝て過ごしましたが・・・

 

歯は大事にしとかないと、歳を食ってからこういう風になくなっていくんですねえ。

 

皆様もどうか歯を大切に。

 

さて前回の続きで、「なぜ私はパートを続けることができないのか」ですが

 

パートを退職してから色々考えたんです。私はどうして2、3年で辞めてしまうのか。

 

それは、まずコミュニケーション能力が低いというのが1つ。

 

誰かと長い時間一緒の空間にいることが耐えられない自分がいて、それは昔からそうで、1人が好き。

 

誰と話しても、何となくかみ合わないことが多く、小さいころから苦労しました。人の顔色を窺いすぎる癖があるのか、とにかく人といると疲れてしまうのです。

 

大人になるにつれ、多少は上手くやれるようになりました。

 

だけどやっぱり、職場というのは、他人と深く関わる場所。どんなに上手くやっても、ボロは出ます。

 

あとは、飽き性と呼べるのか、諦めてしまう心の弱さもあるかもしれません。

 

1~2年は、覚えることもたくさんあるし、失敗してもまた成長できると思えるようなモチベーションもあって、気合が入ってるから仕事も楽しい。

 

3年目。特に何も考えなくてもある程度仕事をこなせるようになり、仕事を舐めるようになって、向上心が欠けてくる。というか、短時間勤務である以上、やれることは限られていて、「私は、ここまでしかできない」という境界線みたいなものを自分で引いてしまう。

 

職場の人間関係にも徐々に亀裂が入ってくる。猜疑心が芽生える。

 

理不尽と思えるようなことも増え、だんだん疲れてくる。疲れて帰るのに家事は自分メインでやらなきゃいけないし、これまでなら気合で乗り切れてた親や子供の問題も重く感じるようになる。イライラして夫との関係性も悪くなる。

 

加えて、人員を極限まで抑えたまま強行されてしまう仕事量とか、求められるスキルの高さとか、ノルマ的なものが、現場の人間の心を疲弊させていくのも一つかなと思います。

 

周りを見ると、そんな中でも、自分なりにおり合いをつけながら、頑張ってる人がたくさんいます。

 

異常にバイタリティがあって、動いてないと死んじゃうみたいな人。

自分の仕事に誇りと問題意識を持って頑張ってる人。

なんか頭よくて何でも要領よくラクにこなす人。

割り切って、仕事も家庭も手を抜きつつ楽しんでる人。

専門的なスキルを持っていたり、その仕事が大好きな人。

 

どれも正解だと思う。

 

もしかすると、あとほんの少し踏ん張れば、この中のどれかに属することができるのかもしれませんが、その直前でたぶんあきらめてしまうのだと思います。

 

アラフィフにして、中途半端で、未熟。歯も1本ないし(笑)

 

でも、3回トライして3回とも同じ結果に終わったということは、私はそういう人間だということで、それもそれで正解かなと思います。

 

そんなにすごくなくても、そんなに認められなくても、もうどうでもいいではないか。・・・半ばやけくそのような気持ちですが。

 

私という性格の人間が、自分の立場や環境や状況も含めた上で、納得しながら、楽しみながら働くこと。

 

そういう、私だけのワークライフバランス

 

もうすぐ50歳という、抗えない現実を目前に、ゆっくり見つけていきたいなと思います。

 

働き方を考えたい弱小メンタルオバサンの日記ブログ始めます。

 

はじめまして。先日パートを退職して専業主婦に一時復帰中の、とりはな子です。鳥と花(というか植物)にが好きです。夫と、大学生の娘と、高校生の息子と暮らしています。

 

この10年で、3つの職場にお世話になりました。3つの職場を退職して思うことは、

 

退職って大変

 

ということです。

 

退職することを決めてから、「やめます」まずこれがなかなか言えない。人員不足のためカツカツで仕事を回してるような職場(大体そういう所が多いけど)だとなおさら言いにくい。そんなの関係ねえと思い立ったら即行動の人もたまにいますが、私のような弱小メンタルオバサンには到底そんな真似はできません。

 

決意後、1週間してようやく上司に相談し、退職が正式に決定しても、じゃあ今日までお世話になりましたさようならということもできません。最終出勤日までの地獄の日々が始まるのです。

 

私の場合、中途半端に格好つけなので、退職希望日を2~3か月後に設定してしまいます。次の人を採用して仕事に慣れて頂くまでの期間を余裕を持ってみると、2か月でも短いくらいだと思うので。

 

しかし面白いことに、それだけ余裕を設けると、採用担当者も余裕をこいてしまうらしく、なかなか新しい人は採用されません。あーでもないこーでもないと選り好むためか、はたまたもっと忙しい部署に優先的に人材を回してしまうためか。

 

私のしょうもない気遣いなど何の役にも立たず、新しい人もなかなか入ってこないから仕事は最後まで多忙をきわめます。

 

自分で辞めますと言っといてなんですが、もちろんモチベーションなど皆無状態です。

 

加えて周りの人間からはきっともはやこの先関わることのない人間なんだから仲良くする必要などないぜと思われてんだろうなという超被害妄想的な感情にさいなまれ

 

どうせ私なんかいなくても回るんだから、早く辞めさせてくれればいいじゃんという更にひねくれたオバサンに成り下がっていきます。

 

思い出すだけでウンザリしてきました…。地獄の3か月です。最後の1か月などもう息も絶え絶えです。

 

この先もまだまだ子供たちにお金がかかりますし、老後の不安もある。夫という大黒柱はしっかり支えてくれますが、働かないことはできません。

 

だけど、「退職」という険しい山にいずれ必ずぶち当たると思うと、もう新しい職場をさがす気持ちにもなれません。

 

必要なのは、「辞めない」働き方。

 

私はたぶん、これを見つけなければなりません。

 

そのために、自分がどうして仕事を辞めようと思うのか、どういう風に働いていけば、続けることができるのか。

 

自分のための、働き方改革。それを見つけるための、ブログにしようかなと思います。